忘れてはいけない日
毎日が誰かにとって特別な日。
誰かの誕生日。何かの記念日。
それは自分にとって大切な日。
嬉しい事。悲しい事。意味はそれぞれです。
僕にとって人生を変えた日。
3月11日。
14時46分。
僕の故郷を大きく傷つけた東日本大震災から8年。
あの日あの時あの場所で経験した一被災者の言葉をこんな形で知ってもらいたく、風化させてはいけない為、この記事を書くことにしました。
正直書くか迷いました。
ですが、自分が発信することで誰かが知ってくれることに意味がある。
それを教えてくれたのが「Wake Up, Girls!」でした。
Wake Up, Girls!とは…と思った方は検索サイトで調べてみてください。
東北復興に尽力してくれた声優アーティストです。彼女たちのファイナルライブに僕は足を運び、自分たちのグループと"東北をよろしくお願いします"
この言葉を直接聞き、一被災者として、こんな人がいる。今の東北を知ってほしい。そう思いこの記事を書く運びとなりました。
震災当時の話をします。
僕は当時まだ高校生。
地震発生の時は部活から帰宅し家の居間で昼寝をしていました。
家には僕以外誰もいませんでした。
揺れは最初そこまで大きくは感じませんでした。
ですが、段々と大きくなり身の危険を感じ始めました。
立ち上がり逃げようとするけど、バランスを保てず立つこともできない。
家の天井から木屑が零れ落ち初め、気が付けば窓がずれたり壁にヒビが入ってくる。
「死」
僕は自分の終焉を覚悟しました。
揺れの強さに立つことができず、床に這いつくばって揺れが収まるのを待つしかない。
でも揺れは一向に収まらない。
ここで僕は死ぬ。
でもふとした瞬間。
ほんと一瞬脳裏を過ったこと。
自分が今頑張ってること。
付き合っている彼女の為。
それが自分の足を動かし、揺れる中家からの脱出を決意しました。
玄関までは距離が遠い。窓から逃げるにもずれて開かない。
家から聞こえる柱や何かがバキバキと壊れる音が僕の焦りに拍車をかけてきて...
でも考える暇があるなら動かないと。
そう思い、居間の棚に置いてあった置物を窓に投げつけ、ガラスを破りそこから外へ脱出。
とにかく逃げないと。そう考え無我夢中で家から走り続けました。
季節は冬。極寒の中コートも着ず裸足で外を駆け抜けました。
足の裏には破れた窓ガラスの破片が何か所にも刺さり、走る脚を止め、自分の走った跡を残すかのように血の足跡がアスファルトに描かれていました。
その跡をどんどん辿り自分の家を見てみると、そこにあるのは瓦礫の山。
僕が育った家が見るも無残な形になりました。
間一髪…本当に間一髪で命をつなげることができましたが、安心と絶望と足の痛みに耐えられずその場で倒れてしまい、たまたま外を歩いていた近所のおばあちゃんに助けてもらい、救急搬送され、事なきを得た。
長々と書きましたがこれは地震発生から5分もないうちに起きました。
冒頭にも述べたように、8年が経とうとしています。
今、僕がこうして不自由なく生活を送れていること。
当たり前の日々でも、その当たり前に感謝しないといけないと震災で教えられました。
「生きること」を学び、自分の命を無駄にしてはいけないことを教えられました。
僕はあの日。たった数分で自分の家、友達、彼女を失いました。
何度死にたいと思ったか分かりません。
でも、ここで僕が命を絶っては生きたくても生きられなかった人たちに申し訳が立たない。
亡くなった人たちの分まで生きないと。
そう思うようになったんです。
この時期になれば津波の映像を流したり、当時の悲劇の様子をメディアは否が応でも映し出します。
正直もう見たくないんです。辛いものから目を背ける以上に「今こうしてこれ頑張ろうってところで振り返りたくない過去を振り返る」ことが嫌なんです。
この風評被害というものは、憶測やデマを流す輩がいる限り消えることは無いと思ってます。
それ以上の発信力を被災者が持って伝えないと…とは思うんですけどね。
では一被災者として、僕が知る「地元福島県の現状」を書き記します。信じるか否かはこの記事を読んでくださってるあなたに委ねます。
福島県では除染作業員がほぼ県外の人間で、いろんなところから寄せ集めた人間ばかりだから治安は悪化。
仮設住宅よりも除染作業員のプレハブ小屋のほうが多いなんて話も聞きました。
誘拐事件があったり声かけ事案が多発なども起こっているようです。
原発の話になります。
元々東電から金を貰うことを条件に福島第一原子力発電所を建設した。
ただでさえも金を貰っている上に、原発事故による賠償金で生計を立て、仕事もせず遊びほうけている被災者もいる。
これが本当に一部でしか知られていない被災地の黒い裏側です。
テレビやラジオのニュースでも、新聞でも、僕のブログでも…
こうして「伝えること」に意味があると思い、それはどんな形であれ間違いではないと思っています。
ですが、目を向けるべきは「今と未来」ということです。
被災地の人たちは自分たちの故郷を取り戻そうとしています。しかし、今でも避難生活を余儀なく送っている人もいたり、不自由な生活を送っている人がいるのも事実です。
そんな人たちも生きようと前を向いています。
8年という時間が経ち、被災地では今でも懸命な復興活動が行われています。
僕からこの記事を読んでくださってる方へのお願いです。
難しい事とは百も承知ですが、あなたの足で被災地に行ってみてください。
そして言葉をあなたの耳で聞いてください。
本当の景色をあなたの目で見てください。
感じるものがきっとあるはずです。
もっと知ってください。そして目を向けてください。
その一つ一つの思いが、復興への架け橋に繋がるんです。
その未来に 光に 罪は無くて
その未来へ 光へ 目を向けよう
その未来に 光に 届くまで
その未来へ あなたへ 繋げよう
その未来へ - シド
イマを重ね そして
ミライへ向かおう!
WATER BLUE NEW WORLD - Aqours
いろんな作品と出会い、言葉や歌で、僕は自分の故郷の大切さを何度も教えられました。
だからこそ、微力でも伝えることが大事。
そう思いこの記事を書きました。
どうか…
東北を
よろしくお願いします。